8月31日(土)
SXQ saxquintet ライブin神保町
SXQ saxquintet
松本健一ss
立花秀輝as
藤原大輔ts
吉田隆一bs
木村昌哉ss&ts
※都合により木村昌哉は出演しません
会場 : 神保町試聴室 千代田区西神田3-8-5 ビル西神田1階
開場/開演 : 19:00/19:30
予約/当日 : 2,000/2,500(ともに+1ドリンク)
2013年8月30日金曜日
10/19 横浜・反町リベルテでさすらいduoライブ投げ銭ライブ決定
「漂流(さすらい)duoライブ」
松本健一sax、福島久雄guitar
10月19日(土)19:30〜
会場:リベルテ 横浜市神奈川区泉町14-6 TEL 045-321-3463
http://www.liberte.co.jp/
何十年ぶり??
伊藤啓太とその昔一度だけduoで演奏させてもらいましたが、若かったな…
そのころまだ20代前半だったんじゃないかな。
いまや40代最後のトシ。
松本健一sax、福島久雄guitar
10月19日(土)19:30〜
会場:リベルテ 横浜市神奈川区泉町14-6 TEL 045-321-3463
http://www.liberte.co.jp/
何十年ぶり??
伊藤啓太とその昔一度だけduoで演奏させてもらいましたが、若かったな…
そのころまだ20代前半だったんじゃないかな。
いまや40代最後のトシ。
2013年8月29日木曜日
俺の投げ銭ライブ(つづき)
なんというか、原価というものとか仕入れというものがある真っ当な経済活動とは違い、音楽ライブ等その価格の根拠というものが第三者にはよく分からない、というものは多い。書物なんてその最たるものだろう。計測不能だと思うのだが、経済学者はそういうのはどう位置づけているのか。まあ、需要と供給のバランス、なんていう退屈な論理が出てくるのだろうな。需要と供給のバランスで音楽を制作するとき、作る側としてはまさに「不毛」の地をひたすら歩んでいるようなものである。無限に湧き出る泉の水を飲む時でも、人間の経済活動とは◯◯ドル/リットル、という交換可能な価値付けをしないではにっちもさっちもいかなくできている。本来は誰の持ち物でもなかった地球の表面に「土地」というシールを貼って、いつの間にか誰かの持ち物になっていて「坪単価」というものが設定されている。別に原始共産制がいいのかと言うとまた別の話になりますが。そういうのは置いといて、素朴な驚きとして、何にでも値段が設定されている。これはつねに疑ってみたほうが良いのではないだろうか。投げ銭の額を決める時、この貨幣に対する疑いというのは最高潮を迎える(ってほどでもないか…??)。
(つづく)
(つづく)
俺の投げ銭ライブ
「漂流(さすらい)duoライブ」は一番最初から投げ銭ライブだった。
当時は「投げ銭」がはたして良いことなのかどうかも分からなかった。やったことがなかった訳ではないが、自分なりにはチャージシステムというものには疑問を抱いてはいたのだが、それを解決する手段として「投げ銭」は検討した事もなかった、かもしれない。
私がチャージシステムに対して抱く疑問は、どうやって音楽演奏に値段を付けるのか…?、これにつきる。1000円のライブより2000円のライブのほうが2倍感動的か??それは分からない。ソロで2000円ということもあるのに、ビッグバンドでもせいぜい3000円てとこ?もっとも、人数とチャージを比例させたりしたら、ビッグバンドのチャージは天文学的お値段となってしまう。
投げ銭ライブの場合、値段は聞き手が決める事ができる。一般的な相場を知りたがる人も多いし、投げ銭はいくら入れていいのか見当がつかないから苦手、という人だっている。しかし、そもそも音楽に一般的な値段をつけることは不可能なので、これはもう、聞き手自身の主体性や、実際どのくらいの額を自由に使えるのか、といった現実的な制約、そのなかで値踏みする行為もひとつのエンターテイメント、というか,楽しみの中に入れて頂ければ、と思う。
(つづく)
当時は「投げ銭」がはたして良いことなのかどうかも分からなかった。やったことがなかった訳ではないが、自分なりにはチャージシステムというものには疑問を抱いてはいたのだが、それを解決する手段として「投げ銭」は検討した事もなかった、かもしれない。
私がチャージシステムに対して抱く疑問は、どうやって音楽演奏に値段を付けるのか…?、これにつきる。1000円のライブより2000円のライブのほうが2倍感動的か??それは分からない。ソロで2000円ということもあるのに、ビッグバンドでもせいぜい3000円てとこ?もっとも、人数とチャージを比例させたりしたら、ビッグバンドのチャージは天文学的お値段となってしまう。
投げ銭ライブの場合、値段は聞き手が決める事ができる。一般的な相場を知りたがる人も多いし、投げ銭はいくら入れていいのか見当がつかないから苦手、という人だっている。しかし、そもそも音楽に一般的な値段をつけることは不可能なので、これはもう、聞き手自身の主体性や、実際どのくらいの額を自由に使えるのか、といった現実的な制約、そのなかで値踏みする行為もひとつのエンターテイメント、というか,楽しみの中に入れて頂ければ、と思う。
(つづく)
Spaceone「超ドラム と 超ホーン」フライヤーできてます
Spaceone
スペースワン定期イベント spaceone event
2013年9月26日(木)open 19:00 start19:30
「超ドラム と 超ホーン」
のフライヤーです。
自宅制作、自宅印刷…。
新しいキャノンのプリンターを購入したので気分も新たに制作中です、が…。ぬかった〜!
インクが切れそう。すっかり忘れてました。高速道路でガス欠の気分。
しかし、安いのによくできてますね。最近のプリンター。無線だし。
排紙トレイが、カパっ!と、ちょっと唐突に開くので慣れるまではちょっと心臓に悪いですが。
あと、アドビのアプリケーションが、OSが変わり、Illustlator等をバージョンアップしないとなんですが、カネがない!!
しょうがなく、GraphicConverterとPagesを駆使してつくりましたが、最近のGraphicConverterのプラグインもなかなかですね。使えますね。Pagesは…、案外使えるというか。絵なんかもPagesのなかでマウス描画です。これで印刷屋に入稿とかじゃなくて自宅印刷だけだったら、べつに俺が作る程度のデザインはPagesで充分ですね。縦書きができないという異常な欠点はあるのだが。
残り少ないインクをどう振り分けるか〜。明日あちこちに納品したいフライヤーがもう1種類、 「さすらい」duoの小さめのやつですが。う〜む。明日は印刷してる暇なんか無さそうなんだよね。しかし、インク切れとは…。ぬかった!
スペースワン定期イベント spaceone event
2013年9月26日(木)open 19:00 start19:30
「超ドラム と 超ホーン」
のフライヤーです。
自宅制作、自宅印刷…。
新しいキャノンのプリンターを購入したので気分も新たに制作中です、が…。ぬかった〜!
インクが切れそう。すっかり忘れてました。高速道路でガス欠の気分。
しかし、安いのによくできてますね。最近のプリンター。無線だし。
排紙トレイが、カパっ!と、ちょっと唐突に開くので慣れるまではちょっと心臓に悪いですが。
あと、アドビのアプリケーションが、OSが変わり、Illustlator等をバージョンアップしないとなんですが、カネがない!!
しょうがなく、GraphicConverterとPagesを駆使してつくりましたが、最近のGraphicConverterのプラグインもなかなかですね。使えますね。Pagesは…、案外使えるというか。絵なんかもPagesのなかでマウス描画です。これで印刷屋に入稿とかじゃなくて自宅印刷だけだったら、べつに俺が作る程度のデザインはPagesで充分ですね。縦書きができないという異常な欠点はあるのだが。
残り少ないインクをどう振り分けるか〜。明日あちこちに納品したいフライヤーがもう1種類、 「さすらい」duoの小さめのやつですが。う〜む。明日は印刷してる暇なんか無さそうなんだよね。しかし、インク切れとは…。ぬかった!
2013年8月26日月曜日
俺のプロフィール
チラシ作っている最中にプロフィールが長すぎると感じる。
どうも、履歴書じみており、聞き手が求めている情報ではない。
また、もういいトシなのに未だに「◯◯氏に師事」というのもいただけない。もちろん、私は大感謝していますが。
ということで、一行で自分のやっている事とかやりたい事、ポリシー?聞き手にとっての関心事であり聴取の方向を誤らせない情報。ひらたくいえばキャッチコピーですね。
キャッチコピーというと、だいたい俺は苦手なのだ。一行やそこらでどうやってこの逡巡する思考を伝えられるのか。多くの大事なものを削ぎ落とさなければならないのか。
だいたい、まず,コピーライターという人種が苦手である。コピーライターはほとんど魔術師と感じる。
そして、しょうがなくキャッチコピーを書くと、自分の場合おおかた軽薄な感じになり、大きな悔いを残す。
言葉=マントラとは,おそろしいものですね。こうやってブログやらツイッターを書き散らかしているけど、大丈夫なのでしょうか。
しかし、音楽でもそうですが、音符を詰め込むのが最上とは限らない。尺八などそうですね。一音上仏という言葉通り、寸鉄、一言居士。それがベスト。またはデジュリドゥーや熱帯雨林の音場のような、部分が全体、全体が部分、のようなフラクタルな世界。
そうですね。フラクタル言語。これを習得すれば良い。どうやって???
ひとり、ミュージシャンで、自分の演奏の事,人とどんなに違ってても自分の表現を考え抜き、また大事にしている男がいて、 彼は自分の事を「チューバ1本背たろうて疾走する旅のチューバ吹き」と書いていた。この凝縮度は凄い。楽器名は2度出てくるが、この一文では具体的に彼がどんなジャンルで演奏しているのかとか分からない。しかし、そんな事はどうでも良いのである。彼が自分の活動をある時はクールに客観的に見つめ、ある時は主観的にワイルドにふるまう。そんな研鑽の中から出てきた言葉であろう。それも、やはり世界を相手に、またはより身近な世界での断絶とか、楽器の特異性や難しさ、いろいろな条件から鍛えられて来た事が想像される。
俺の場合はそういう努力をあまりせずに来た。つねに以心伝心の理解者に恵まれ、共通言語にして通す、というような場面に立たされるような事が少なかったように思える。そういうある種のぬるま湯的日本の状況として、わりと多いのではないかとも思われるが。
「演奏活動を通して即興や特殊奏法を中心に探求するクレージーサックス奏者」
なんだか説明的である。やはり履歴書。役所に出すようなテイストである。
SXQの2枚目のCDが出たときの田中啓文氏のコメントなど、
「サックスサックスサックスサックス……どこを切ってもサックスばかり。サックスの音の洪水を頭から浴びたければ本作を聴くことだ。馬鹿よ、まさにサックス馬鹿たちよ!」
である。温度というものが違う。具体的な説明は一切無い。
思うに、自分は慎重なのだ。言葉があまりに温度を帯びてしまう事が。演奏でいくらでもアツく、あるいはツメタく、なればよいので、言葉というものに対しての信頼が無い。だから一種の詩的表現を避けてしまう傾向にあり、無理してそれが爆発してしまうとこれもまた見るも無惨、という結果に陥ってしまう。
そして今後、どちらへ進めばいいのか。
そういう事を考えるヒマがあったら練習したほうがいいのか。きっとそうだろうと思う。考えてもどうにもならんと感じる。
「Change」
「Yes,we can!」
どうも、履歴書じみており、聞き手が求めている情報ではない。
また、もういいトシなのに未だに「◯◯氏に師事」というのもいただけない。もちろん、私は大感謝していますが。
ということで、一行で自分のやっている事とかやりたい事、ポリシー?聞き手にとっての関心事であり聴取の方向を誤らせない情報。ひらたくいえばキャッチコピーですね。
キャッチコピーというと、だいたい俺は苦手なのだ。一行やそこらでどうやってこの逡巡する思考を伝えられるのか。多くの大事なものを削ぎ落とさなければならないのか。
だいたい、まず,コピーライターという人種が苦手である。コピーライターはほとんど魔術師と感じる。
そして、しょうがなくキャッチコピーを書くと、自分の場合おおかた軽薄な感じになり、大きな悔いを残す。
言葉=マントラとは,おそろしいものですね。こうやってブログやらツイッターを書き散らかしているけど、大丈夫なのでしょうか。
しかし、音楽でもそうですが、音符を詰め込むのが最上とは限らない。尺八などそうですね。一音上仏という言葉通り、寸鉄、一言居士。それがベスト。またはデジュリドゥーや熱帯雨林の音場のような、部分が全体、全体が部分、のようなフラクタルな世界。
そうですね。フラクタル言語。これを習得すれば良い。どうやって???
ひとり、ミュージシャンで、自分の演奏の事,人とどんなに違ってても自分の表現を考え抜き、また大事にしている男がいて、 彼は自分の事を「チューバ1本背たろうて疾走する旅のチューバ吹き」と書いていた。この凝縮度は凄い。楽器名は2度出てくるが、この一文では具体的に彼がどんなジャンルで演奏しているのかとか分からない。しかし、そんな事はどうでも良いのである。彼が自分の活動をある時はクールに客観的に見つめ、ある時は主観的にワイルドにふるまう。そんな研鑽の中から出てきた言葉であろう。それも、やはり世界を相手に、またはより身近な世界での断絶とか、楽器の特異性や難しさ、いろいろな条件から鍛えられて来た事が想像される。
俺の場合はそういう努力をあまりせずに来た。つねに以心伝心の理解者に恵まれ、共通言語にして通す、というような場面に立たされるような事が少なかったように思える。そういうある種のぬるま湯的日本の状況として、わりと多いのではないかとも思われるが。
「演奏活動を通して即興や特殊奏法を中心に探求するクレージーサックス奏者」
なんだか説明的である。やはり履歴書。役所に出すようなテイストである。
SXQの2枚目のCDが出たときの田中啓文氏のコメントなど、
「サックスサックスサックスサックス……どこを切ってもサックスばかり。サックスの音の洪水を頭から浴びたければ本作を聴くことだ。馬鹿よ、まさにサックス馬鹿たちよ!」
である。温度というものが違う。具体的な説明は一切無い。
思うに、自分は慎重なのだ。言葉があまりに温度を帯びてしまう事が。演奏でいくらでもアツく、あるいはツメタく、なればよいので、言葉というものに対しての信頼が無い。だから一種の詩的表現を避けてしまう傾向にあり、無理してそれが爆発してしまうとこれもまた見るも無惨、という結果に陥ってしまう。
そして今後、どちらへ進めばいいのか。
そういう事を考えるヒマがあったら練習したほうがいいのか。きっとそうだろうと思う。考えてもどうにもならんと感じる。
「Change」
「Yes,we can!」
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