2014年3月30日日曜日

なめて近所に買い物に出かけたけど、けっこう雨風強く、くたびれた〜

2014年3月29日土曜日

matsumoto ken-ichi live information

matsumoto ken-ichi live information:



4月1日(火)
「漂流(さすらい)duoライブ」w/立岩潤三 
出演:
漂流(さすらい)duoライブ
松本健一sax
福島久雄guitar


ゲスト:
立岩潤三percussion

会場 音や金時 杉並区西荻北2-2-14 喜志コーポB1
TEL: 03-5382-2020
open : 18:30  starting time : 19:30   2700円



 4月3日(木)
「漂流(さすらい)duoライブ」
出演:
松本健一sax
福島久雄guitar

会場:六本木 ノチェーロ 港区六本木6-7-9 川本ビルB1
お問い合わせ/03-3401-6801
アクセス/日比谷線・大江戸線六本木駅より徒歩2分 

演奏時間:1st 19:30 2nd 20:45 3rd 22:00(入れ替えなし)
Charge:2,600円(おつまみ一品付)
昨日のノイズフォーケリー第一夜、なかなか盛況でかつ演奏した4つのセット、全て違っててなおかつ持ち味が出てて面白かった。特に、最後のLKOの参加したセット、素晴らしかったなあ〜。皇君、ますます磨きがかかって、ほとんど伝承芸能の無形文化財みたいな重厚感。今度また一緒にやろうねとと誓った夜でした…。
私のプロデュースするSXQ+スペシャルフレンドもなかなか良かったです。久々の差音地獄でしたが、soupの空間がすごくマッチしてて、何人もの観客のアタマが爆発したみたいです。よかった。私も脳ミソの方が溶けました。ケリーに捧げた曲は、ギターの開放弦といわゆる「パワーコード」をモチーフにした2つの要素をナマ音響的即興演奏に挿入する感じのつくりになってたのですが、冒頭、ギター1弦担当のソプラノ木村君が音をちょっとオルタネイトしたため、異文化圏のギターになりましたが、ご愛嬌。復活した木村君は即興演奏もバリバリこなして、一安心です。ケリーは帰らぬ人になったが。久々に会う人なんかもいっぱいいて、いろいろ考えたなあ。やることやんないとですねホント。now is the time,ですわ。ケリーとはもっと長いスパンでつきあいたかったなあ。すごい可能性を残して去った。たまらないです。
ところで、これまた雑感。身内と話してて、昔土地神話のころを思い出した。変な山ん中の土地を投機目的で購入するというのが流行った。ごく普通の人向けに、銀行預金だけでは損する、不動産と株式に3分割して「財テク」せよ、という説で、なかば煽るように商品を売りまくっていたし事実売れていた。それが今では…,という話。でも当時は疑うことなど無く、財テクやらない人は無能者か世捨て人と思われてたような時代。で、今を考えると、今度は不動産ではなくて情報ですね。どんどんクラウドコンピューティングがすすんで情報がまさに雲をつかむような巨大ホストに吸収されていて、これがそのうち崩壊…??
はやりの断捨離じゃないですが、長年愛用してきた巨大なスピーカーシステムを処分し、コンパクトな今風モニタースピーカーに替えることにした。これで標準的なサウンドメイキングに邁進する所存です。まあ、スピーカーには愛着あるものの、寿命というのがとっくに来てしまっていて、悲しいかな、しょうがない。それに、空いたスペースをさらに整理して、ちょっと練習やレコーディングなんかもどんどんやれるようにして、マジメに仕事します。暖かくなってきたし、まあその他いろいろ、ちょっとやる気になってます。やる気っていうか、もう、他に何やんの。今でしょ。という感じです。now is the time. あ、今でしょを50年代にすでに先取りしていたチャーリーパーカー。やはり偉大だ。

2014年3月27日木曜日

雑感屋さん

現状、毎月平均7〜8本ほどの「ライブ」をやっております。
これ以上は現在の過程状況からしてできません。また、ツアーなども引受けたいところなのですが、やはり日程は相当限られてしまう状況です。
なので、毎月の定番のライブ以外はお断りすることが多くて、ご迷惑をおかけしております。すいません〜。
しかしながら、夜の時間帯でなければかなり融通きくので、土平日の昼のライブ、リハーサル、録音、物好きな人はレッスン…、などは問題ありません。
…ということを考えていたら、 夜の街で大方の場合飲み食いする場所で演奏することにこだわる必要は最初からないじゃないか??、きっと、夜の街に出てこれない人でもわれわれの音楽を聴いてくれるひとはどこかにいるはずだ、と、希望的観測をおこなってしまいました。
前回の考察で、自分の感性が荒廃しているのではないか、それと対峙するためには(私の場合は)音楽なのだ。良い音なのだ。というようなことを考えてましたが、さらにすすめば、さまざまな聴き手の存在は重要なので、このさい、どこへでも飛んでって音を出し、それを受容してもらいたいと思います。上に述べたような理由で、そんなに遠くにはいけませんが。

2014年3月25日火曜日

雑感

ウチは「生活クラブ」の「組合員」で、毎月「生活と自治」という冊子が配達されるのですが、先月から辺見庸氏が連載「新・反時代のパンセー不服従な理由」をはじめていて、初回は気がつかず読めなかったが、今月は読む事が出来た。ここにそのスキャン画像を、と思ったけど、著作権とかあると思うのでとりあえずやめとく。なにしろマイナーな冊子なので、なかなか目に触れる機会は少ないと思う。
概略としては、世界の失業者が2億人を超えた、ということに驚くとともに、それがほとんど報道されないということにもっと驚いている。失業、富の集中、格差の拡大に加え、それよりもっと大切なことが進行性のガンのようにひろがっているようにおもえる。それは気づかざる不可視の「すさみ」である。というような文章。
これ読んではっとした。自分の感性がかなり荒廃しているのではないかと薄々と感じていたが、やっぱりそうなのかも、と。世間一般が荒廃していくのに伴い、かなり浮世離れして過ごしている自分だけれども、自分だけが無傷ということにはなるまい。
楽器というのは(突然ですが)奏法などいろいろなお作法が決まっていますが、これは過去の豊かな感性を持った世界からのメッセージなのだ。楽器奏法だけではなく作品や理論など,音楽家はありとあらゆる財産を受け継いでいる。これらの財産を受け継ぎながらも場合によっては否定し乗り越えていくところに真の価値がある。なぜならメッセージにはお返事をしなくてはならないからだ。