を8月に読んでFacebookに投稿した文章。こんなこと書いたの忘れてました。
fbはもう、すぐに忘却の彼方なので、ちょっとこっちに避難させておき、いずれまたこの本読み直すので、また気づいたこと書いたりしようっと
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「限界芸術論」部分的に気になる部分を読み返しつついろいろ考えつつ、冷酒をのんでますが、冷酒が旨いです!なんかスルスルはいってくるな!
いや、もうあまり考えがまとまらないし、眠いのですが、ん〜、即興演奏も限界芸術ぽいとことあるね。本書では芸術は楽しい記号である、と最初に宣言し、そ の後、「純粋」「大衆」「限界」の3分類をしてます。純粋芸術は専門家が作り専門的享受者を持つ。大衆芸術は専門家が企業家と共同して非専門的享受者に向 けて作る。限界芸術とは非専門⇒非専門。即興演奏はどこに入るか考えると、純粋芸術ではないね。アカデミズムでもないし、ちょっと違いますね。だいたい、 純粋芸術な人は即興に対してある種身構えるところあるように思う。(あなたがやっていることは再現性がないね、といわれたことあり。ま、その通りですよ。 それは、豆腐屋に、あなたのつくっているものは柔らかいね、といってるにひとしい)まあ、専門的享受者しかいない、というところはこれから大いに改革して いくとして、で、大衆芸術ではない…儲からないから。これも改善したい…。とすると、消去法で限界芸術いり。まあ、キッパリと3分類できるわけじゃないけど。
ちなみに、「限界」というワードはちょっと誤解招きやすいですね。「境界芸術」「生活芸術」でも違うしな〜。入会地、市街化調整区域、でもないな。グレーゾーン、じゃないし、なあ。語彙が。もうない。marginalっていう語感がうまく訳する言葉が思いつかないです。
私らが行っている「ワークショップ」は、それこそバックグラウンドの違うヒトが一堂に会して音を出し、面白がる(うまくいったらですけど)だけのような場 所なので、現代風限界芸術とも思える。そうすると、「聴く人よりやる人が多い」等の批判もむしろ立場がハッキリするので良いとも言える。ちょっと痛々しい か??
いやほんと、ゴカイを恐れずいえば即興演奏なんて、だれでも出来ますからね。これは良い意味でね。ホント、まったくのシロートの人が来るとちょっと脅威ですよ。すべて持ってかれたりして。まあ、だいぶなれましたが(?)。柳の下に(以下略)
で、その限界芸術はあらゆる芸術の感性の母体となっている、というのが「限界芸術論」の主旨のひとつなのですが、まさに、即興演奏はあらゆる音楽体験の母体だと思います。おっかさん!
「楽しい記号」たる芸術の母体である即興音楽はもっと楽しくなければならない、かもね〜。ていうか、楽しいのでこれほど続いてんだろうね。ま、そのへんハッキリしてくると展開も違ってくるでしょうね。
- 松本 健一 今日は朝から夜まで活動していたので、ヘトヘトなんですが、思索スイッチが(冷酒で)作動。
- 松本 健一 あと、「イーハトーブと満州国」という本も読んでます。宮沢賢治と石原莞爾の話。国柱会。興味深いです。小沢征爾さんの「爾」は石原莞爾から来たものだとか。
- 松本 健一 あとは天野祐吉の「成長から成熟へ」という本。ん〜、なんか腑に落ちないな!
- 松本 健一 山形から新潟へ、酒の旅。in my room
- 松本 健一 円朝に関する記述も目からウロコだった!
- 松本 健一 山形から新潟へ 県境の分からぬ 酒の旅
- 松本 健一 円朝が日本の大衆小説の始祖であることが定説であるということ自体驚いているので
- 松本 健一 天野さんは広告に「居着いた」のではないか。
- 松本 健一 なぜかこんなん出てきた。来月刊行予定
- 松本 健一 もうちょっとタイトル工夫すればもっと行き渡るんじゃないか?「バカの壁」みたく
- 松本 健一 まあ、そこが信頼されるところではあるんだな
- 渋谷 毅 限界芸術論、まだちゃんと読んでいない。なんだか読みにくい。限界芸術という言葉に引っかかるからかも知れない。
純 粋芸術、大衆芸術、限界芸術とは近代(だか現代の)社会を前提としていて、それはそれでいいけれど、例えば「縄文時代にそんなものはなかった」といってし まえばその中で残るのは限界芸術だけで、そうなると問題(課題か)はそういう社会を前提にしない論になるんじゃないかと思う。 - 松本 健一 そうですね、最初の数ページがすごくひっかかります。あとのいろいろな文は具体的で面白い話題多いのですが。
- Yumi Hara marginalは「辺縁」ではないのですか マージンはふち、ですから。メインストリームではない、という意味でしょう。アンダーグラウンドに似てますと思いますが、アンダーグラウンドは上下感がありますがマージナルは平面における区別を感じます
松本 健一 なるほど。「辺縁」はより近い気がします。純粋芸術や大衆芸術などを中心に据えると、その周囲を取り囲むように存在している感じと捉えることも出来そうですね。中心に据える、と言うところはまだ考える余地ありですが。
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