2015年3月12日木曜日

今週末に向けて

今週末は、月例行事化している、「新・即興の日」。月例行事化することの良さは、ちょっとした変化が楽しめることですね。年一回とかだとなにがなんだか分からない。やった、はいそれだけ、となり、どんどん弱体化する…という轍を踏まないためにも、こつこつやっていくのは大事だと思います。はい。来てくれる人がいないと続けようも無いんだけどね。でも、なんとか、毎回足を運んでくれる人も時々足を運んでくれる人もいまして、ホント感謝です。
今週末にむけて考えていることですが、まずは、熱帯雨林の音場を聴いて頂く、かも。それと、その貧しい電気的模倣作(といってはあんまりですか)D・チュードアの「Rainforest」も参考に聴いて頂くかもですが、それらは聴いてもらうだけ。
ほかは、かなりニューエイジ的、とも受け取られかねませんが、体験的にはそうなんだろうなあとしか思えない、音楽に作用する要素の数々に関して、そっちの方からアプローチする方法はなにか無いものかな、とも。まあ、いくらなんでも水晶玉とかツボの類いは出てこないと思いますが、でも、そういうものもきっと関係はあるのだ、という確信が芽生えつつあることも事実で、でもそれはたぶん他人に無理強いする筋のものではなくて。
その種の事柄を考えるとやはり物体より生身の人間の方がはるかに、いるだけで、影響あるのです。ものにしても人間にしても測定のしようがないのね。そういう事柄を扱うのは科学というのはとても苦手だろうと思う。勝負事のような一発ものになると突然非科学的な有象無象が湧いて出るのと同じで、グレゴリーベイトソンによれば、科学は次に起こることを予想できない、ということなので。
とはいえ、物理的にどうやって音が変わるのか、考えたとき、音というのは物理レベルで言えば波動です。空気が振動しているだけ。可聴域で振動している時、ある一定の振動であればピッチが聞こえ、ランダムであればホワイトノイズが聞こえるのは、これは脳が再構築しているのである。やはり脳が再構築しているのであるから、かなり精神的なバイアスがかかりやすい。音は物理現象ではない。
さびしい人間なのだろうか、そのような有象無象をオカルトとして排除してきたのですが、ここへきてどうしても無視できなくなってきたという次第です。(つづく)

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