2016年5月31日火曜日

自由な耳

長谷川淨潤さんの「声が変わると人生が変わる!」(春秋社)という本を繰り返し読んでますが、帯の「声を良くするにはまず「耳」から!」という惹句がなるほど〜〜!と目から耳からウロコがパラパラと(なんかきたないたとえだなあ)落ちる感じで。演奏も、耳にタコができるほど「よく聞きなさい」と言われたものですが、努力して意識的に聞くのも限界がありそうなんだよね。よく調整されたカラダで聴くのとそうでないのとでは出発点が違い過ぎる。
こだわり無く、空間まるごと聴く、耳。これは、聴覚を超える身体内感覚や皮膚感覚にはみ出してくるかも知れない。が、とにかく、脳内で結ばれるイメージ以前の早さで直接体験することってできるのだろうか。自分に関して考えると、けっこう自分(の脳)はその聴覚イメージを作るのが遅いんだと思います。遅いんだけど脳が時間軸を補正してあたかもリアルタイムで経験しているようなイメージになってるんだと思う。そのタイムラグの部分はまったく暗黒の世界なわけで、自分と世界の間には暗黒大陸が広がっているわけだ。と考えるとなんか楽しい。なので、分からない(事前にイメージのない)音楽はまったく、わからない…。
なんで遅いのか、という理由は、まあちょっと思い当たるふしも無いことはないのだ。知能を優先させるような習慣みたいな、癖っていうか?が、あります。それでいろいろ助かって生き延びてる面もなくはないのだが…。塞翁が馬ですね。
とにかく、耳を自由にする、と一口に言っても、けっこうややこしいのね。奥深そう。

0 件のコメント:

コメントを投稿