2015年2月9日月曜日

即興ワークショップ「新・即興の日」今月も無事終了

来月は14日(土)14:00〜です。

先月に引続き、参加者多めだったのですが、あえて、最初はほとんど全員による即興演奏を、現実的な要請による「音を小さくする」、コブラのパクリみたいだが「それまでやっていたことと違うことをやる」というふたつの合図だけ決めてやってみました。
まあ、自分の言語能力が乏しく、上手く説明できませんでしたが、瞬間的に違うことやるのってなかなか難しいね。「コブラ」の出演者は皆さん芸達者だから(ま、プロフェッショナルだから)難なくできるのだが。でも、これは技術よりは感覚とかそういうほうのウェートが大きいでしょうね。音を小さくする、という方はすごくうまくいく。小さくするたびになんか、面白い感じになる。逆に大きくするほうは、なんか自我が充満して息苦しい感じになるのではないかと想像しますが、小さくした瞬間に自我がちょっとだけ崩壊し、なにかヘンなものが忍び込んでくる感じですね。やはり、こういう具体的な指示の方が自由度高いですね。
私は3人以上だとインプロはうまくいかない説、というのはあまり信じないタチで、現実には確かにうまくいきませんが、かといって、少人数に限定するのも夢の無い話で。いつの日か、即興オーケストラで取り決めもなくすばらしい世界がうまれる、というのを妄想しています。
ヒントは、「熱帯雨林の世界」という写真集の付録のCDなのですが、これは即興大オーケストラ。しかも心地良いのです。ただし、これを狭い意味での「表現」とはとらえることは無理。もうひとつは、即興演奏は(即興じゃなくてもそうですが、特に)聴き手を巻き込んで成立している、という仮説。もうひとつ、音楽には実体が無い。表層を各演奏者が提示することであたかも実体を構成しているかのように音楽が立ち上がっている。なので、誰かが違うことをするとそのアウトラインは変化するが、その暗示している実体も大きく変化する。現実的に、その提示するアウトラインは時間軸の中に存在するが、ひょっとしたら暗示している実体は時間の外にあるのかもしれない。

時間。時間のことを考えてますが、だいたいよく分かんなくなります。習慣的につながりのあるフレーズをひとまとめにして聴いている。実時間と違った時間が流れているに違いない。馴染みのない音楽はどうまとめていいいのか脳も混乱する結果、かえって実時間に近い時間の感覚になっているのかも。実時間は味気なく散文的ではある。 わっ、もうこんな時間か。

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