2015年10月14日水曜日

不安、案ずる(雑記)(2)

「思考」というものと「不安を感じる」ということが実は呼び名が違うだけであって、実は切り離すことができないものであり、コトバで切ることによって様々な弊害が出てくるのではないか…、という仮説を立てた。

ユングの考えた「元型」は、人間の脳の構造に由来している、ということである。普段身体と精神を分けて考える習慣が身に付いてしまっているが、思考や意識や感情というものはかなり肉体的なものではないだろうか、と思えてくる。ただし、日常的には意識が「意識できる」範疇で暮らしているのでその断層はみえてこない。芸術がほとんど肉体的行為を伴うのも、それがやはりその断層を浮き彫りにしようとする時有利だからだろうか。

思考というものが本当に不安感と同一の漠然とした脳の作用であるのではないか、ということを考えていくのに、思考というものの内容を考えてみた。思考というのは要は因果関係を明らかにしようという心のはたらきである、と言い換えられないだろうか。初期条件をもとにそれがどうなるかを考える。あるいは様々な性質やもたらされた結果をみてその原因を究明する。思考というのは結局この2者に分類される。

もう「考え」すぎたので休憩


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